【特集】「相模原事件」と私たち<前編>
東京大学本郷キャンパスで行われた「障害者のリアルに迫る」ゼミでは「<内なる優生思想>と向き合う」をテーマに、全7回の講義を行いました。今回はそのうちの第4回目『相模原事件と私たち-障害者運動の歴史から-』の講義の様子を前編・後編に分けて抜粋でお届けします。
2020年2月13日
司会:
本日のゲストにはNHK『バリバラ』のメインパーソナリティーである玉木幸則さんと、東京大学先端科学技術研究所の熊谷晋一郎さんのお二人にお越しいただきました。最初に玉木さん、熊谷さんからそれぞれ自己紹介いただいて、その後2人の対談ということで、流れを進めていきたいと思います。
では玉木さんよろしくお願いします。
玉木さん:
こんばんは、玉木です。よろしくお願いします。
では簡単に自己紹介をして、後半に核心を喋っていこうかなと思っています。
今日の話は僕の自己紹介と、あくまでも個人的な見解として聞いてください。玉木がここでどういうことを言ってたっていうことは、あまり建設的ではなくて、「玉木はこう言ってたけど私はどう考えるか」っていう、ちゃんと咀嚼して考えるような時間になったら、と思っています。
「障害者」の生活を紹介する番組が必要なくなるような社会
僕は今『バリバラ』っていう番組に出させてもらってるんですが、実はですね、僕は2009年から『きらっといきる』という番組の司会をしていました。
そのきっかけは、2003年に、実は前任の自立生活センターメインストリーム協会で仕事をしていたときに、『きらっといきる』に取り上げてもらったんですね。どんな仕事をやっていたかっていうと、入所施設から出て一人暮らしをする人の生活の応援をしていたんです。
番組の最後のところで、「あなたの夢は何ですか」っていうごっついベタなコーナーがあって。34歳にもなってね、「あなたの夢は」なんていってもしょぼいですよ(笑)
咄嗟に出てきたのが、「『きらっといきる』なんていう番組が無くなってほしいなと思います」。収録だからカットすればいいのに、当時からEテレはちょっと変わった人がやっていたので(笑)、それを放映しちゃったんです。
何で無くなった方がいいかっていうと、やっぱり「障害のある人が身近に居ない存在だから、番組を通して伝えなあかん」っていう社会が実はおかしくて、障害がある人も一緒に生活できるようになれば、僕が出たような番組がなくなるやろうということで言っちゃったんです。
これが実はアリバイになって、これの5年後にプロデューサーが来て、「玉木さんこんなこと言うてたから、あんたの手で『きらっといきる』無くしてくれ」っていうことなって。最初は断ってたんですけれど、結局引き受けて、3年間やったとき、この『バリバラ』っていう番組に変わりました。
『バリバラ』はできた当時は、「障害者のための情報バラエティー『バリバラ』」って言ってたんですね。それが2016年に「みんなのためのバリアフリー・バラエティー」っていうふうに変わったんです。
というのも、人が生きていく上での生きづらさとか、暮らしづらさとか、いわゆる「障害」ではないんだけれど、それをみんなで考えていくことで少しでも生きやすくなったり、暮らしやすくなったりするん違うかなと思うからです。
僕の言語障害がきついから、未だに「障害者の番組なんでしょ」っていうふうに言われてしまうんですけれど。今話題の薬物依存の話であったり、LGBTQの話であったり、あとは外国人ルーツの子供たちということで、「ミックス」って言うんですけれども。お父さんが日本人・お母さんが外国籍の子どもで、公立学校に行ったときに日本語ができないから、学習機会がきちんと提供できないで勉強についていけないっていう問題も。そういうことも僕は考えていきたいなと思っています。