存在のクロマとか、そんな言葉を持ち出したら、とても聞こえが良いだろう。赤と黒の2色しか知らなかった子供が、12色の色鉛筆に出会ったら、嬉しくなるだろう。木をたくましく生やすことも、大空を見上げることもできる。絵心があれば。たしかに、このゼミにはそういう側面がある。ある講師は、全身の運動神経が侵され眼球とまぶたと唇しか動かせなくなった身体で現れる。静かにそして丁寧に、生きる意味を語る。全国を飛び回る。またある講師は、目が見えず耳も聞こえない。はつらつと語り、豪快に笑う。ふとした瞬間に、指点字を離れて頬杖をつく。想像を超える覚悟があるに違いないが、偶然や運命が刻まれた賽を麗しく転がしているように見える。その一つひとつの生き様が美しい。
12色の色鉛筆が綺麗にケースに収められていたなら良いのだが、話はそう単純ではないらしい。
数えきれない色が散らかっている。大小の声をあげる。尖っていたり、禿びていたり、折れていたりする。自分が踏ん付けてしまっているかもしれない。混ざり合う僕らのリアルだろうか。そんな様子を見て思わず立ちすくんでしまう。自分の中に綺麗に織り込まれていたはずの色が勝手に噴き出してくる。一度滲んだその色は簡単には消せない。大事にしたい色は簡単に褪せてしまう。こんな色は嫌いとか、醜いとかそんな感情も見え隠れする。自分も相手も全身のポケットや穴に色鉛筆を詰めて、それを強く握りしめたり、落としたり、踏んづけたりしながらフラフラ歩くモンスターに見えてしまう。僕らは全身を巡る赤い血を売って、冷たい色をした砂時計の砂を飲みながら生きるのかもしれない。
勇気を持って一人の存在と対峙して、少し遠くを見やるのだ。自分も他人も、見たことのない色が噴き出しているとしても、形を変えながらなんとか上手くやっていることを祈りながら。
モンスターはそれぞれの顔を持っている。季節を工夫しながら、互いにすれ違いながら、トリコロールのスプーンでアイスクリームを食べて歩く。お行儀の良いうちに。積み重ねた異質な皺を伸び縮みさせて食べる。アイスクリームは口の中で自由自在に形を変えるけれども、刺激は実は単調だった。色を噴き出すモンスターが夢中になっているそれは可愛さを纏っている。当のクリームは、色の溢れる世界の中で、何かを抽象するようにのっぺりと単調な色をしていた。ユウジンにスプーンを配ってやる。「お前のはラスタカラー。」みんな堂々とそこにあるといいね。しばらく経ったら燃やされる。
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