初めまして、東京大学理科二類の大久保紗佳です。
2018年度夏学期に「障害者のリアルに迫るゼミ」を受講し、2018年度秋学期より、ゼミ運営に携わらせていただいています。
このゼミを知ったきっかけは、NHKのハートネットTVで取材されていたことでした(2017年11月放送)。ぼんやりと「障害者」に興味を持ちつつ、人並みに進路に悩みつつ迎えた高校3年生の時に、その番組を観ました。放送時ちょうど受験勉強真っ只だった私は、東大にこのようなゼミがあることを知り、東大に入学してこのゼミに関わる事を、とても楽しみに思っていました。
(たまたま夕方に家にいてたまたま勉強が嫌になってたまたまいつもは見ないEテレをつけた自分を褒めたいです。)
ところで、私の19年間を「障害」というキーワードで検索すると、6つの項目がヒットします。
①ヘレンケラーの伝記が大好きだった、小さい頃の私。障害を持ったヒロインとして、彼女を「憧れ」の対象にしていた私。
②小学校でクラスメイトだった自閉症の男の子。周りに疎まれる彼を自分の班に入れてあげる、「心優しい優等生」の私。一方で、そんな彼を授業中眺めていて、「この子の言動は、どこまでが障害のせいで、どこまでがこの子自身の性格なんだろう?この子に障害がなかったら?障害ってなんだ?」と疑問に思っていた私。
③高1の時ボランティアで福祉作業所を訪れ、怖くてあまり話せなかった高1の私。
④高校2年生、東田直樹さんに出会い、自閉症の心の内に触れた私。同時期に津久井やまゆり園の事件が起き、とんでもない、許せない、と偉そうに主張していた私。
⑤高校3年生、秋、リアルゼミのことを知り、自分は「心優しい優等生」だから、福祉の仕事は向いているんじゃないかと勘違いする私。福祉に興味があるというのは聞こえがいいし、周囲にそれほど多くない興味分野(少なくとも私の周りでは)だったのでユニークでもあり、「もってこい」だと感じていた私。
⑥「東大生」になった私。「障害」と名のつくゼミに参加してきた私。
実際にゼミに関わり始めてから約1年が経ちますが、いま振り返ってみると、かつての私が抱いていた「障害者について勉強する」というイメージとはかけ離れた1年だったと感じます。
上に書いた①〜⑤の時の私は、愛に溢れた優しい世界として「障害者福祉」を想像し、一方で実際に「障害者」と関わる状況では自分の中の恐怖や好奇心や偏見差別を自覚していて、結果的に「リアル」には蓋をしてきました。
1年間このゼミに関わってきた今の私は、もう偽るのはやめたい、自分の中の負の感情にも向き合い、「リアル」をしっかり見つめたい、と思うようになりました。(「優等生」脱却はなかなか難しいですが。)
同時に、自己紹介などで「障害者福祉に興味がある」という時、違和感を抱くようになりました。「障害者」という言葉を使うたび、「障害者」って誰??と、問いかけてくる自分がいます。「障害者」に本当に興味ある?と疑ってくる自分がいます。その時、1年間にゼミで出会ったゲスト講師の方々の顔が浮かびます。ゼミの仲間の顔が浮かびます。
私がほんとうに興味があるのは「障害者」ではなくて「ひと」なんだということが、最近わかってきたことです。目の前にいる人が「障害者」なのかはどうでもいいし、「障害者」が差別されているとか、困っているとか、それも言ってしまえば私の日常にはどうでもいいことです。
でも、目の前の「ひと」の中に生きづらさがあって、しんどさがあるならば、それはどうして辛いのか聞きたいし、向き合いたいし、一緒に悩みたいと思います。
このゼミにいると、たくさんの興味深いゲストのお話を伺えるのと同時に、たくさんの「悩む仲間」に出会えます。受講生として集まってくる学生たちは、ひとりひとりが真剣に真剣に悩んでいます。もちろんゲストのお話に対しても、障害という分野についても、社会についても・・・でも、多くは自分のことについて。
必ずしもこのゼミで学んだことを直接職業として取り組んでいく人々とはかぎらないし、「障害」を当事者として・身近な人のテーマとして捉えている人もいれば、そうではない人もいます。
しかし、学部にも進路にもおかれた環境にも関わらず、
このゼミでの課題は実感として「他人事」ではなくなります。
「自分事」を悩むことのできるこの空間は、居心地がよく、自分が成長できる場です。
「悩む仲間」がいるこの環境に、とても感謝しています。
運営紹介トップバッターから拙い文章で申し訳ありません。
運営紹介は、これから毎週木曜日に更新していく予定です。私が尊敬する先輩方と同期たちの、このゼミにかける想いを、読んでいただけると嬉しいです。
大久保紗佳(2018年度夏学期受講/2018年度秋学期運営/2019年度夏学期運営)
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